つみほ スレスレなるままに

現実と非現実の境目をふらふらと往き来するかのような日常の記録

長良川の鵜飼の醍醐味と世界遺産について考えてみたら意外な関係性に気がついた件

今回二度目の観覧となった長良川の鵜飼ですが、息子が小学生の頃に見た一度目とはいろんな意味で違っていました。

まるで全く違う鵜飼を見た印象さえあります。

それは、長良川の鵜飼のやり方自体が変わったのかも知れませんし、単に時期的な違いによるものかもしれません。

これについてはまた、鵜飼事務所に電話で尋ねてみようと思います。

ただ、変わらないものも確かにあって、それこそが鵜飼の醍醐味だと思いますので、それを少し考えてみます。

一つには鵜匠と鵜の関係。

そして、鵜飼という伝統文化としての側面です。

鵜匠と鵜の関係について、狩り(漁)という共同作業を行う仲間、としての関係はどうでしょう。

まず漁師と猟犬の関係とは全く違うことは明白です、なぜなら猟犬は自らの食欲を満たすために狩りをする訳ではなく、あくまでも漁師の手伝いをして狩りをします。

間接的には自らの生活、食事や寝ぐらを確保するためだとしても、狩り自体を自らの欲望を満たす手段として利用することは普通は考えられません。

鵜は自らの食欲を満たすために狩りをします。

鵜匠はそれを利用しているだけです。

つまり鵜は呑み込んだ魚をそのまま腹に収めようとしますが、首に縄が掛かっているので腹までは落ちず喉の途中で止まります。

当然そのままでは次の魚を採れませんから鵜匠が舟に引き上げ、呑んだばかりの魚を吐き出させます。

どんなふうにして吐き出させているのかは分かりませんが、鵜もまさか先ほど呑み込んだはずの魚を吐き出させられているとは気づかないらしいです。

そうして鵜はまた水(川)の中に戻されます。これを繰り返していくのだそうです。

ちなみに鵜は、幾ら魚を採っても(呑み込んでも)縄の掛かった首でも素通りしていくような小魚以外はお腹に入らないので、そのままでは空腹で死んでしまいます。

だから鵜匠は、お金にならない下魚などを鵜に与えます。

なんとも残酷な絵図、下手を打つと虐待にも思える関係ですね。

ずっと以前、この鵜飼漁が生計に直結していた頃は、そうしたことが普通に行われていたと聞きます。

現在はというと、実は鵜匠が鵜飼をするのは直接の生計のためではなく、鵜飼という伝統的な漁のショーをするため、つまり観光事業です。伝統を守りながら間接的に生計の足しにしている、といったところでしょうか。

けれど、鵜匠が鵜にやらせていることは同じ、虐待になるのではないのか?と思いますよね。

食べたい魚を食べさせて貰えず、無理矢理漁をさせてる、と?!

ところがそうでもないのです。

実は鵜には大きく分けて二つの種、川鵜と海鵜があり、海鵜は文字どおり海辺に生息して海の魚(海水魚)を食します。

稚魚などは問題ないらしいですが、そもそも川魚(淡水魚)を食する習慣はないし、食した場合、下手を打つとお腹を壊して死んでしまうことさえあるらしいのです。

鵜飼の鵜は、以前、生活や生計に直結していた時代には川鵜であったようですが、観光資源化する中で海鵜に変わり、鵜飼で鵜が呑んだ魚は専ら鵜匠が取得するようになりました。

一方で鵜には、サンマやトビウオなどを仕入れてエサとして与えているそうです。

表向きは、鵜が捕った魚を鵜匠と鵜とで折半、という伝統的な共同作業の絵図ですが、裏側ではかなり合理的なやり方にシフトしている。

形式だけかもしれませんが、そうすることで現代の法や生活様式の枠組みの中で伝統が継承され守られていく。

このような構図は、鵜飼に限らず様々な場面で見受けられます。

例えば先日TVを見ていたら、今からおよそ60年前に、現在のユネスコ世界遺産の取組に繋がる大事件が起きていました。

それはエジプト、ナイル川のほとりで起こりました。

長年に渡りナイル川の氾濫に翻弄され続けていたエジプトでしたが、その一方でナイル川の氾濫によってもたらされる農作物の豊穰に支えられてきたとも言えます。

ところが約60年前のエジプトでは、人口の急激な増加によって、これまでの自然任せのやり方では食糧が不足する事態になりました。そこで考え出された案がナイル川の上流にダムを建設し、ナイル川の水位を完全にコントロールすることでした。

そのためには、ダムの上流にある古代エジプトの遺物、世界的に価値のある神殿などが水没しあるいは崩壊することも辞さない、そこまで追い込まれていたといいます。言わば、伝統や遺跡といった有形無形の財産よりも現在の生活に価値を置き、これまで守り伝えて来たものを手放そうとしたわけです。

これに対し、これはエジプト一国の問題でなく世界にとっての損失になると考えた政府の人間が国連ユネスコに助けを求めた。そして全世界から様々な提案があり、凡そ不可能とも思われた前代未聞の移設事業が始まった。

そして見事に、古代エジプトの遺物は移設によって救われ、現在もなお現地で見ることができるというのです。

古代の遺物や伝統文化がいかに貴重なものであっても、それを優先にすることで現在の私たちの生活が脅かされる事態は避けられるべきです。

ただ、何らかの形でその遺物や伝統を守り継承していけるのであれば、闇雲に破壊する、終わらせてしまう必要はない、それは未来の世界に対する裏切りにも匹敵する愚挙だと思います。

長良川の鵜飼もエジプトの古代遺跡も、当時のの姿形のままでは恐らく、さほど遠くない過去のある時期に、その歴史を閉じていたかもしれない。けれども幸いなことに人間には、他の動植物にはない知恵があります。それを総動員することで、未来に残していきたい、残していくべき伝統や遺跡を護り未来へと繋げていく。

そうした背景に裏打ちされた伝統文化を目近に見られる、そのことこそが鵜飼の醍醐味と言えるのです。