つみほ スレスレなるままに

現実と非現実の境目をふらふらと往き来するかのような日常の記録

思い立ったが吉日の是非〜人事を尽くすと天命が待ち遠しいぞ

思い立ったが吉日、という言葉がある。
これをやろう、これをやりたい、そう思ったのならあれこれ悩んでるよりはまず行動しよう、という意味だと思っている。本当のところは分からないが、当たらずとも遠からずだと勝手に判断して話を進めよう(汗)。

 

いつだったか、所謂「暦」に書かれている仏滅とか友引という文字には特に意味はなく、今で言うところのカレンダー屋さんが何か含みを持たせようと付記したのが始まりだという話を聞いた。
仏滅や友引、大安という言葉自体は仏教用語らしく全くの捏造という訳でもないことから瞬く間に広がったとされている。

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暦の大安や仏滅の文字に特別な意味はないらしい

さて何かを始めるとき、人は、神仏か何か拠り所を求める傾向がある。おみくじを引き、吉方位や吉日を占ったりして万全を期したつもりになるのだ。

暦に書かれた大安を尊び仏滅には頑なに何もしないで過ごす、、なんてことをごく当たり前に行う。宝くじ売り場で「本日、大安吉日」ののぼりが踊っているのを見たことは二度や三度ではないはずだ。

 

しかし、である。

何かコトを起こそうと思ったら、そう思い立ったそのときが一番の吉日なのだ。
一番ノリに乗っているときだし、一番ヤル気が溢れているときだし、一番怖いものなしのときだから、その日を逃したらいろんなことを考え始めてしまう。もしかしたら考え過ぎて、不安になって、遂には諦めてしまうかもしれない。諦めるところまではいかなくても、考えることが多過ぎてなかなか前に進めなくなってしまう。

 思い立ったその日にやったら、もしかしたらその日のうちに終わってしまえたかもしれない事柄が、1週間経っても1ヶ月経っても終わらず、終えたところも、本当にこれで良かったんだろうかという不安感が常にまとわりついてる、、なんてことになりかねないのだ。

 

その一方で、ただ闇雲に始めて突っ走るのは愚の骨頂だという。思い立ったが吉日の前提にはもうこれ以上はないという程の不断の決意と努力、そして水面下の準備が必要という事実だ。

人事を尽くして天命を待つ、という言葉がある。
できるだけのことはやって後は天に運命を委ねよ、ということだが、思い立ったが吉日にも通じるところがある。
思い立つのは人事を尽くした結果であり、天から降りてきたもの、天啓ということ。
そこまでやり尽くしたのだから、天啓を得たらそのときは天啓に身を委ねて、意のままにやりなさい、ということなのだ。

なんの準備もなくただ思いつくままに行動することが佳き日につながる、、という意味ではない。とは言え、準備を始めるに当たってなおあれこれ悩み始めたらいつまで経っても天啓は舞い降りないから、

案ずるより産むが易し。

思い立ったらまず行動。

それが一番の近道と言えるのだ。